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04 (駄目――、駄目、逃げて、) 私の中で危険を告げる警報が鳴り響いている。 これは、これは駄目だ。関わってはいけない。 この男は確実に私の中の不変を打ち砕く異質な非常事態だ。 足が後ずさる。 ずさ、ずさ、ずさり。一歩、二歩、三歩と下がった所で彼はたった一言こう言ったのだった。 「無駄ですよ――果実」 その瞬間体全体の力が抜けた。 くらりと体がよろめき、真後ろの本棚へ力無くもたれかかる。 「柔以果実・・・ふふ、いい名前ですね。とても美味しそうだ」 「あな、た・・・?」 「ああ、失礼」 彼は改まり、背筋を直してまた微笑んだ。 「慈雨時雨です。以降は名前で呼んで下さって構いません」 「・・・?」 「『じうしぐれ』です」 「そんなおかしな名前、偽名にしてはクオリティが低いわ」 「あなたが言えることですかね?」 「・・・・・・」 まあ確かに私の名前も胡散臭いっちゃあ胡散臭いんだけど。 それでも初対面でその名前を持ち出されると簡単に信じられるような名前ではない。 しかもこの状況で。 「なんで私の名前を知ってるの」 「知るべくして知ったんですよ」 何だそれは。しかしそれよりも先に私は聞かねばならないことがある。 でもそれは口に出せば何かが終わるようで ――少なくともこの質問を私が口にすることが日常を打ち砕く引き金になっているのは確かなことで―― ・・・口に出せない。 「へえ、聞かないんですか」 「何を」 「『死ぬかもしれない』ってどういうこと?って」 パリン と私の中で何かが打ち砕かれる音がした。 もう、きっと・・・戻れない。 私が愛した日常はきっと戻らない。 何故かは分からない。根拠もなければ理由もない。 目の前の慈雨時雨と名乗る男はさぞ満足そうに微笑みを溢れさせるだけだった。 * 世の中に起きる出来事全ては小さな『物語』として区切られており、それは元より全て定められている。 いつどこで誰がどうなるのだとか、例えばそれが自分の意思で決定して行ったことであったとしてもそれは定められた物語の内の一頁にしかすぎない。 また、『小さな物語』はひとつの『大きな物語』の内の一頁である。 そしてその『大きな物語』が記されている本が、存在する。 「その本のことを僕達仲間は『命を下す唯一の本(コマンドブック)』と呼んでいるのですが――コマンドブックは必ずしも完全な存在とはいえない。 コマンドブックの内容は稀に書き換えられることがあるんです。それは非常にまずい・・・世界のシナリオが書き換えられるなんて非常事態ですからね。 それを修正し元の内容に戻すのが僕の仕事というわけです」 口に含んだ珈琲の味は確かに苦い筈なのに、味覚をちっとも刺激してくれない。 それよりも目を逸らさずに淡々と訳の分からないことを話し続けるこの電波男のほうがよっぽど私を刺激してくれた。悪い意味で。ちなみにこの珈琲は図書館を出てすぐ前にある広場の自動販売機で購入したものだ。 「・・・慈雨さん、だっけ」 「名前で呼んでくれて結構ですよ。一応僕とあなたは同学年ですし」 「慈雨時雨なんて同級生聞いたことないけど」 「ええ、だってあなたの学校の生徒ではありませんからね」 「その制服うちの学校の制服よ」 「今は便利な世の中ですね?欲しいと思えばいくらでも入手できるルートが用意されているんですから」 真剣に逃げ出そうと考えた。 危ない、こいつ二重の意味で危ない。 ええと、まず話を整理してみよう。『世界で起こる現象は全て予め定められていることである』・・・ないない。 そしてそれら全てが記されている本がある。確か名前は『命を下す唯一の本(コマンドブック)』?・・・・・・ないない。ないないないないない。 「47点ってところね」 「何がです?」 「あなたの作った捏造話。今時そんなSF話なんて流行らないわよ」 「作家デビューする気はないのでどうでもいいのですが」 「・・・病院行きなさい」 溜息を吐いて広場から去ろうとする。既に図書館の中は薄暗く、人気はない。 そもそも考えてみれば私は何故彼の虚言に付き合おうとしたのか。 単なる好奇心――、それとも、 「全て事実ですよ」 くすりと微笑む彼の目がすうっと細められる。 ナイフのようだ、と思った。その視線がゆっくりと甚振るように私の首に宛がわれている。 「あなたには傍観者になって頂きたいのです」 「・・・!」 「僕が物語を修正したという事実を認識してくれる証人、とでも言うのでしょうか」 本来ならこの時点で、否、この話題に至る前に私は逃げ出したかった。 足を急かし周囲の目も気にせずにこの図書館前広場から姿をくらまして家に駆け込み「変質者に会った!」なんて110番通報したかった、のだ。 しかしそれはあくまでその行動を実行することが可能だったならの話である。 『あなたには傍観者になって頂きたいのです』、と彼が私に話しかけた時、彼は言葉を発する以外にもうひとつ行った行動がある。 ・・・率直に言おう。 私の腹にランチャーを突きつけた。 ぐり、とその銃口が私の腹へと埋め込まれるように喰い込む。 その感覚は軽く嘔吐感を引き起こし、目の前が一瞬くらりと揺らいで生理的な涙が目に浮かんだ。 ピストルやライフルなんてもんじゃない。 これはランチャーだ。手榴弾を発砲する、ランチャー。 だから銃口と言っても私の鳩尾を覆い隠すぐらいの大きさはあるし、それが与える恐怖というのもそれはそれは膨大なものだった。 目だけで彼の顔を見る。にこりと微笑みを返され、一瞬閉じられたかのように見えた目がはっきりと見開いた。 「死ぬかもしれないって、こういうことですよ」 「・・・う、あ」 「最もこの段階で反抗するようであればそれは中々の勇者だとは思いますが」 「・・・・・・、」 「以後よろしくしてくださいね、果実」 腹部に存在し続けていた(といってもほんの数分程度でしかなかったのだが)圧迫感が消えた。 それでも未だ残り続けている彼の目線は私の首を捉えて離さない。 この首に纏わりつく視線が鋭利なナイフではなく頑丈な首輪に変わったのだと感じた。 (・・・捕まったんだわ、私) |