03




「楽にしてあげて」


私はこの言葉が私自身の唇から溢れたものだということに気付き、はっとした。 ――つまりはあの人を殺してくれと言っているようなものではないか。 確かに私はあの人が輝きを失ったことに失望したし、悲しくもありどこか憤っていたのかもしれなかった。 でも、あの人の死を私が望む、なんて。 ぐるぐると頭の中で咲いては散っていく言葉や感情に戸惑っていると、くすくすという笑い声が耳のすぐ傍で聞こえた。


「何を混乱しているんです?・・・いいんですよ、それで」
「・・・!っ、いいわけないじゃない!」
「おや、何故そう思うんです?」
「だって・・・だって、私、遠回しに殺せって言ったのと同じで」


それも自分のエゴで、だ。


きっと今の私は酷い顔をしている。 口をぱくぱくさせて、言葉にできないこの思いを必死で言葉にしようとして、それでもできなくて。 そんな私とはまるで対の位置に居るかのように彼は綺麗な顔で気味の悪い言葉を紡いだ。


「いいんです、いいんですよ、それで。殺気を恐れないで。けしてそれは汚い感情ではないのですから、ね?」
「っ・・・るさ・・・」
「さっきのあなたは綺麗でしたよ」
「・・・!」


場違いな鐘の音が鳴ったようだった。 綺麗・・・綺麗?殺欲にまみれた先程の私が綺麗 と? 彼は呆然と立ち尽くす私の頭を子供をあやすように一撫でして 「大丈夫。そこで見ていてください」と言って駆け出した。・・・何が大丈夫、よ。


どうせ殺すくせに。


彼は大丈夫だと私に向けて言った。 しかし彼は私の救世主でもなければ神でもない。 きひゃひゃひゃという捩れた笑い声と助けを求める女の声が遠く遠く離れた場所のもののように思える。 目の前で繰り広げられるこの光景は確かに異常そのものだというのに。 思わずぎゅうと目を閉じる。 視界がゼロになると同時に一層研ぎ澄まされた耳は、未だ彼の言葉で塞がれているままだった。


『殺意を恐れないで』


確かに一瞬でも自分が殺意を露にしたことを恐れてはいた。 しかし、願ったという『事実』は『本当』なのだ。 『願いは叶いを望むからこそ願うもの』だということは願う者なら誰だって知っている。 無論、私だって。


何かがバタリと倒れる音がした。 そしてぼたたたた、と流動体が重力に従い地面へ叩きつけられる音。 きっと血・・・なんだろうな。ということは彼はあの人を刺殺したのだろうか。


(・・・苦しまなかった?)


痛くはなかっただろうか。 彼がどのようにしてあの人を終わらせたのかは分からないけれど、 それでもどうか最後だけは何も感じないまま終われたように。 夢を追っていたあの時のあなたは、あなたの代わりに私が覚えておく。 だから、どうか、


「目を開けなさい」


誘う声がする。


「・・・殺したんでしょう」
「ええ、殺しました」
「ちゃんと後片付けしてくれれば目を開けるわ」
「面倒臭いですよそんなの」
「目を開けれるわけがないじゃない。知人の死体なんて誰だってみたくないわ」
「それなら目を開けても大丈夫じゃないですか」
「・・・あの人、あんなのでも一応元彼よ。知ってるでしょう?言いたくないこと言わせないで」
「貴女は先程から何を言っているんです?」


クエスチョンマークが浮かび上がった彼の言葉に動揺の色が浮かんだ。 そして微かに感じる会話の歪み。


「あなたの知人の死体などどこにも無いというのに」


反射的に目を開けた。
視界が蘇る。
目に映るのは鋭利なナイフが深々と突き刺さっている――






女 が、






「・・・・・・・・・どう、し、て」
「ね?大丈夫だと言ったでしょう?」
「なん、で、この人が、死んで・・・?」
「この女性、あの男性を逆に殺してしまうところだったんですよ」


ああまったく、刺殺というのは手に感触が残るから嫌なんです――とわざとらしい嫌悪の表情を浮かべて彼は今回の修正内容を話し出した。


「『今日午後16時22分、坂内通りの裏道にて麻薬中毒者(男性)が通りすがりの女性を刺殺』というのが今回の正しい物語。 しかしこの物語の箇所に誤差が生じ、先程の項目の後に『ところが女の抵抗により午後16時26分奪われたナイフで腹を刺され死亡』 という要らないオプションが付いてしまった。・・・今日はその部分を修正しに来た、という訳です」


彼の説明はもはや私の鼓膜を揺らすという程度のものにしかならない。 私はただただ、見つめている。 死んだ女の死体の横でけたけたと笑いながら生きている、彼を。


「殺したいですか?」
「・・・まさか」


吐息を感じるほどに近く、甘美にすら聞こえるその言葉。 彼は更に「殺してほしいのなら殺して差し上げますよ」などという陰湿な追い詰め方をしてくる。


「そういう物語じゃない、でしょ」
「おやバレていましたか」
「バレるもなにも・・・今、あなた私をからかって遊んでいただけじゃない」
「戸惑ったあなたも素敵でしたよ」
「黙れ」


そろそろ帰りましょうか、と言って欠伸をひとつ溢した彼は何事もなかったかのようにその場から背を向ける。 私もその背中に付いていこうと視界の向きを変えたのだが、最後に視界の端に映ったあの人が笑っていたのがどうしても癪に障ったので不覚にも・・・叫んだ。


「生き延びた後で死ね!!」









03#白濁したうつくしき回想(反転する疎ましき理想)

2008.03.07