ひとりの下僕が絶望に苦しみながら己の主(あるじ)に問いを投げかけた。 「ああ、我が主よ。何故私を捨てようとするのです。何故他の下僕を扱おうとするのです。」 下僕の顔は涙で濡れ、くちびるからは自尊心を捨て去りきった惨めな懇願しか溢れ出てこなかった。 その下僕を主は一瞥し、かと思えばその口元に粘りつくような弧を描いて言葉を放った。




ひとりの男が居た。その男は砂漠で迷っている。 腰に下げた水入れの中はもう随分と前に底をつき、喉の渇きを潤すことをもはや諦めていた。 その時、男は声を聞いた。酷く優しい声だった。


「あなたは何を望むのですか」


男は迷わず「水を望む」と答えた。声はまた響いた。


「1セントを私によこしなさい。そうすればコップ1杯分の水へと辿り着く道かコップ3杯分の水へと辿り着く道のいずれかを教えて差し上げましょう」


男はポケットの中から1セントを出し、迷わずコップ3杯分の水へと辿り着く道を聞いた。 男は教えられた道の通りに進むと、そこに丁度コップ3杯の水が溜まっていた水溜りを見つけ、喉の渇きを潤した。





「さて、私がお前を捨てることに何か文句でもあるのか。」 下僕は下唇を噛み締めてただ一言「何もありません」と言ってから主の前から姿を消した。








*








主の前から下僕が去っていく様子を木陰から覗く女がひとりいた。 女は口に咥えていた煙草を足元へと落とし、その真っ赤なパンプスでぐり、と踏み付ける。 そのパンプスと同じような色をした妖艶な唇をどこか物憂げにせつなく開いた。


「・・・その物語には続きがありました」






別の男が砂漠へとやってきた。彼もまた水入れの中を切らし、喉を潤すことを諦めていた。 するとその男の耳にも声がした。


「あなたは何を望むのですか」


男は迷わず「水を望む」と答えた。声はまた響いた。


「1セントを私によこしなさい。そうすればコップ1杯分の水へと辿り着く道かコップ3杯分の水へと辿り着く道のいずれかを教えて差し上げましょう」


男はポケットの中から1セントを取り出し、コップ1杯分の水へと辿り着く道を聞いた。 声は「何故水3杯へと辿り着く道を選ばなかったのか」と聞いた。 男は「私にはこれで十分なのです」と満足気に微笑みながら答え、礼を言いコップ1杯分の水へと辿り着く道を進んだ。 そこにはコップ1杯分の水が溜まっていた水溜りを見つけ、喉の渇きを潤した。満足はしなかった。



コップ3杯分の水を飲み干した男は喉の渇きを大層潤した後、また砂漠を迷い始めた。 しかし目に浮かぶのは掴めぬ蜃気楼だけで、また喉が渇いたと訴えながら死んだ。


コップ1杯分の水を飲み干した男は喉の渇きを少し潤した後、また砂漠を迷おうとした。 しかしその水溜りの向こうで人影を見つけたのでそこへと寄ると、大きな国がそこにあった。 男は歓迎され、幾人もの人々から水を分け与えてもらった。男は非常に満足した。





女は赤いパンプスのヒールを鳴らしながら主の背中に近付いた。 女に気付いた主は声をかけようと後ろを振り返ったが、その女が突き出したナイフが喉を突き通した為にそれは叶わなかった。


「アンタには、水をくれてやる価値もない」





舌尖の一滴を、(忠実にする。)


いのちに至る門は小さく、その道は狭く、それを見いだす者はまれです。(マタイによる福音書7:13)

2008.01.14